極悪と戦えば極善となる

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「魔」と戦い続ける人が「仏」

魔は、仏陀となった釈尊に対しても、心の間隙を突くようにして競い起こり、さいなみ続けたのである。


仏だからといって、決して、特別な存在になるわけではない。
悩みもあれば、苦しみもある。
病にもかかる。
そして、魔の誘惑もあるのだ。


ゆえに、この魔と間断なく戦い、行動し続けるのが「仏」である。
反対に、いかなる境涯になっても、精進を忘れれば、一瞬にして信仰は破られてしまうことを忘れてはならない。
               (新・人間革命3巻P185 仏陀の章より)


私は、「仏」になれば、悩みなんかなくなると思っていた。
しかし、池田先生は「仏にも悩みはある、病気にもなる、誘惑もある、煩悩もある、それらの魔と戦い続けている」という御指導に衝撃を受けた。


仏とは、なにも特別な存在なのではなく、一個の人間で、悩み、苦しみはあるんだと。
魔は、自分の一番弱いところに付け込んでくる。
今、私は折伏に人材育成に様々なことに挑戦中なので、魔の働きも本当に強い。
ちょっとでも油断すると、すぐに負けそうになる。
己心の魔と戦い、精進の日々である。



【魔とは、正覚への求道の心を脳乱させようとする煩悩の働きである。それは、世俗的な欲望の執着となって生じることもあれば、肉体的な飢えや眠気となって現れることもある。あるいは、不安や恐怖、心をさいなむこともある】
                           (同P179~)