極悪と戦えば極善となる

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まことの「信心の血脈」Ⅱ

「正法会」のメンバーには、‘’自分たちの組織も発展してきたのだから学会と同じことができる。なにも、学会に入り、戸田に指導を仰ぐ必要なとない‘’という思い上がりが生じていたのである。だが、やがて「正法会」には、ほころびが出始めていった。


仲違いである。二つの正宗の寺院の信徒がいることもあり、いつのまにか派閥がつくられ、それが感情的な対立にまで発展していった。会合を開いた時は一緒でも、終われば互いに悪口を言い、陰で足を引っ張りあうようになっていた。「正法会」の雰囲気は、暗く、重苦しいものになっていった。功徳の体験も聞かなくなった。宮田は焦り始めていた。


‘’何かが違う。どこかおかしい・・・‘’


彼は神経をすり減らし、体調も崩してしまった。
そのころ、「正法会」の青年部長で、呉服の販売をしていた寺田道夫という青年が、出張先の仙台で、学会の仙台支部の総会があると聞いて参加した。一九五四年(昭和二十九年)の四月のことである。寺田は、会合の迫力、明るさに圧倒された。


‘’学会はすごい! 「正法会」とはまるで違う。これが本当の大聖人の仏法の世界だ。信心をするなら、戸田先生の指導を受けなければだめだ‘’


彼は桐生に帰ると、「正法会」の会長である宮田弥次郎の家を訪ね、その様子と自分の考えを話した。


「君もそう思うか・・・。実は、最近、私もそう考えていたのだよ。今になってみて、戸田先生の言われていたことの意味が、ようやくわかりかけた気がする。やはり、広宣流布は、戸田先生にしかできないことなのだろう。決して、私が考えていたような、甘いものではなかった」        
                  (新・人間革命4巻P93~凱旋の章より一部抜粋)