極悪と戦えば極善となる

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強さと優しさをもたれていた牧口先生




「善い事をしないことは悪い事をしたのと同じである」牧口先生 #sokagakkai #sgi #daisakuikeda #ご指導 #池田先生


【我が創価学会の根源は、昭和5年(1930年)の11月18日この日発刊の「創価教育学体系」第一巻の奥付で創価教育学会の名が初めて世界に発表された。まさに、学会の出発はそれ自体、大いなる広布への戦いの旅立ちであるとともに、思想戦の開始であった



時に牧口先生は五十九歳、戸田先生は三十歳、牧口先生と戸田先生のお二人は、この二年前の昭和3年(1928年)に日蓮大聖人の仏法に帰依された。この年は私が(池田先生)が生まれた年でもあった。そして、この11月18日は学会の創立記念日であるとともに、奇しくも牧口先生の祥月命日にあたる。すなわち、昭和19年の11月18日、牧口先生は約一年四ヶ月の獄中生活の末、東京拘置所の病監で逝去された。妙法弘通ゆえの大難に殉じられた時に七十三歳であった。


(省略)牧口先生は、あえて難を引き起こし、難と戦い、難を乗り越えていく一点に信心の精髄があり、大聖人門下の誉れがあることを身をもって教えてくださったのである。みずからがつくられた学会創立の意義深き記念の日に、広布の大難に屈することなく、厳然と戦い抜かれて、殉教の誠を尽くされた。ここに、学会創立の精神が象徴的に示されているし、広布に向かいゆく、学会精神の真実があると、強く申しあげておきたい。
             
(省略)わが創価の父である初代会長牧口先生の、あの眼光鋭いお写真を拝見すると、「謹厳実直」という言葉が浮かぶ。事実、弟子たちにも厳しい師であられたようだが、最も厳しかったのは、ご自身に対してであった。軍部政府の弾圧と戦い、殉教された、巌のごとく不動な、強き精神が、それを明確に物語っている。


(省略)牧口先生は、投獄されてからも、取り調べ利の場で、堂々と宗教の正邪を論じられている。また、看守も折伏されている。先生には、微塵も、恐れや妥協はなかった】
                                      


難に屈せず殉教された牧口先生には「とても厳しい、厳格」なイメージがあったが、↑上のこの動画6:12~をみて、細やかな心遣いが出来るとても優しい方でもあったんだと感動した。祥月命日でもある本日、改めて牧口先生に報恩感謝のお題目をあげようと思う。


【しかし、牧口先生はまた、限りなく優しく温かいお人柄であった。若き日先生が、北海道師範学校の付属小学校で、教鞭をとられたころのことである。雪の降る日など、先生は外に出て登校する子供たちを迎えた。そして、小さい子を背負い、大きい子の手を引いて歩かれた。特に体の弱い子には、最新の注意をはらわれた】


【あかぎれの子がいれば、教室でお湯を沸かし、手を洗ってあげたといわれている。また三笠小学校時代には、弁当を持参できない子供のためにご自分で弁当を用意されたことは、よく知られている。一人ひとりの子供の状況を把握し、心を砕かれる、まさに慈愛の先生であられた】


【ある冬の夜、指導を受けにきた会員の婦人が、幼子を背負って帰ろうとすると、先生がいわれた。「風邪をひかせては、いけない。こうすれば、一枚よけいに着たのと同じだよ」そして子供の背中に畳んだ新聞紙をいれてくださったという】


【なんと細やかな心遣いであろうか。殉難をものともせぬ強さと、その優しさこそ牧口先生の人格の偉大さを物語っている。先生はどこまでも民衆を愛し、慈しむがゆえに、敢然と正義の旗をかかげ、邪悪とは阿修羅のごとく、戦いぬかれたのだ】


【本当の優しさとは、強さに裏打ちされていなければならない。悪を見て、見ぬふりをし、何もしなければ、皆が不幸になる。そうした社会を私は憂える。(略)悪と戦い、人格の光彩をもって、友を包みゆくなかに、創価の精神の継承があることを忘れまい】