極悪と戦えば極善となる

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狸祭り事件Ⅰ

昭和二十七年四月二十七日の夜、学会の青年部員が、戦前に神本仏迹論という邪義を唱えて、牧口先生、戸田先生が投獄される因をつくり、宗門からも擯斥(除名)処分にされていたはずの小笠原慈聞が登山していることを知り、宿坊で戦時中の邪義を追及しました。


さらに、牧口先生の墓前へ連れていき、「私の神本仏迹は妄説である。日蓮大聖人様の清浄なる法門を乱しました事は誠にもって外道の極み、日蓮正宗内の獅子身中虫なる事を御詫び申し上げると共に今後の行動を慎みます」という大聖人あての書状を書かせています。この護法の行動は「狸祭り事件」と呼ばれました。


小笠原は日蓮正宗を日蓮宗に合同させようと図り、成功したら日蓮宗の宗務総長か、大石寺か清澄寺の住職になるという密約を得ていたとさえ言われています。そして日恭法主を不敬罪で逮捕させようと画策したため、弾圧を恐れた宗門が権力に迎合して謗法を重ねることになったのですから、正法の敵であり、学会の敵であるばかりでなく、宗門にとっても許すことのできない敵だったはずなのです。 (河合一氏著 暗黒の富士宗門史より抜粋)