狸祭り事件Ⅱ
正法と宗門を破壊しようとした小笠原の責任は全く問われず、一方的に学会の行動のみが批判されたのは、信徒の分際で僧の誤りを追及するとはけしからん、という信徒を蔑視して下に見る僧侶の権威的な感情論の現れだったのです。
しかも、宗門は大法要の直前の四月五日付けで、小笠原を僧籍に復帰させる特赦を行った、という辞令を五月中旬に配布された機関紙「大日蓮」に掲載していました。僧籍にあるものを学会が追及したとして、僧の権威を守るためにあわてて取り繕ったことは明らかです。
実際には終戦直後の昭和二十一年三月に、小笠原の僧籍復帰は許されていました。それにもかかわらず、学会の追及に対して、小笠原が僧籍にないことを、宗門側はそれまでに度々、
公式に表明していたのですから卑劣です。
六月二十八日の日蓮正宗の宗会では「大法衣不祥事事件」としてこの問題が審議され、戸田先生に対して「所属寺院住職を経て謝罪文を提出すること、大講頭を罷免す、戸田城聖氏の登山を停止す」という処分を望む一方的なものだったのです。
(河合一氏著 暗黒の富士宗門史より抜粋)
この時の日蓮正宗に対して、戸田先生は「寸鉄」で『平左衛門尉の後身か』と以下のように鋭い破折をくわえている。
【無調査の論告 野蛮時代の政治よりもなお悪い、さては宗会議員諸公七百年前を想い出したな】
【七百年前を思い出してもよい 大聖人の折伏姿ならよいが平左衛門の真似ぢゃ困ったもんだ】
【宗会議員諸公は平左衛門の後身か 事情も調べず義理もたださず論告するとは】
【平左衛門の後身 宗会議員諸公とあらわる 仏恩広大にして、逆縁の輩、今大聖人の仏法の中に生まれて 唯一人の大信者をそねみ恨む、終生恐るべし】
(昭和二十七年七月二十日付 聖教新聞 寸鉄)
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