極悪と戦えば極善となる

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わたしの折伏の戦い

私は、親友に「破折」を表にした弘教に挑戦したことがあった。


「仏教用語使って難しいことばかり言う」「お説教しないで」「こちらの話を遮って主張する」「押しつけがましい」


等といわれてしまい、激しく反発されたので、「嫌われたかな、離れていくかな」
と思ったが、その友人は離れていかなかった。


「入会したいと思ったら自分から言うから押し付けないでね」


と念を押されたので、その後は何も言わず、様子をみることにした。


何年か時がたった今では、私のことを色々と助けてくれ、学会の良き理解者となってくれているが、何年かぶりにその友人に会う機会があったので、一緒にお題目をあげれるように祈っていた。


その祈りが通じたのか、御本尊の前で、一緒に唱題することができた。
朝夕勤行していると言って、勤行要典を見せると、


「あぁ、十如是って知ってる」


と話が盛り上がった。
昔、お坊さんの般若心経のお経を聞いて、十如是のことを覚えていたらしい。


何日かたって、「あの時、般若心経の破折をしたほうがよかったのかな、私の折伏、間違っていたの?」と思い悩む日々が続いた。


悶々とする日々が続いたが、お題目を唱える中で、ふと「法華経を一字一句も唱え、また人にも語り申さん者は教主釈尊の御使いなり」(新P1527 四条金吾殿御返事(梵音声の事))という御書の一節を思い出し、大聖人から「大丈夫。今回はそれでいいんだよ」と言われているような気がして、ほっとした。


また、2023年10月7日付け聖教新聞の「はなさん」(7面)にも励まされた。


「三浦君が金城君の話に興味を持ったのは、きっと金城君が三浦君をはなから否定しなかったからだ」



しかし、まず最初の仏法対話の時、他宗の誤りを破折をし、激しく反発をされた事にも意味はあったと思う。


【とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし。謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり】(新P697 法華初心成仏抄)


破邪=相手が執着している教えの誤りを明確に指摘する
顕正=正法に帰依させる


【慈なくして詐り親しむは、即ちこれ彼が怨なり】
【彼がために悪を除くは、即ちこれ彼が親なり】
                      (新P1730 阿仏房尼御前御返事)