極悪と戦えば極善となる

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まことの信心の血脈Ⅲ

「私は学会についていこうと思う。本当の信心はそれしかないからです。私とともに行動しようという人はついてきてほしい」


宮田たちが、学会に入ろうとしていることを知った「正法会」の副会長らは、寺の住職らと話し合い、新たな会の結成に着手し、メンバーが学会に行くのを、躍起になって阻止しようとした。宮田たちは‘’裏切り者‘’とされた。


しかし、宮田は、学会に入会し、最終的には、彼に続いて、百人あまりが学会員となったのである。宮田弥次郎は一学会員として、地道に信心に励みはじめた。彼は、‘’学会に信心のイロハから教えてもらうのだ‘’と決意を新たにしていた。


学会に入会し、しばらくして登山した折、彼は総本山の参道で戸田城聖と出会った。
宮田は、再三、知らせを受けた戸田の会長就任式にも出席しなかったことを思うと、戸田に合わせる顔がなかった。申し訳なさに、うなだれるように頭を下げた。


「宮田君、苦労したな・・・。君のことは、この戸田がよくわかっている」


こう言うと、宮田の肩に手を伸ばし、抱きかかえた。


「先生・・・」


宮田は男泣きした。戸田の腕は、このうえなく温かく感じられた。


以来、宮田は黙々と信心に励んだ。
学会を深く知るにつれ、日々、その不思議さを実感していった。


宮田は、創価学会こそ、日蓮大聖人の「信心の血脈」を受け継ぐ、唯一の仏意仏勅の教団であることを命で感じていった。さらに、戸田の獄中の悟達に発する、不惜身命の実践と大確信が、学会の精神の機軸となっているからこそ、金剛不壊の団結があることに気づいた。また、その戸田がいてこそ、初めて広宣流布が成し遂げられることを確信したのである。


後の話になるが、宗門の一部僧侶による、学会への理不尽な攻撃が続いた一九七八年、九年(昭和五十三、四年)ごろ、宮田は、真実がわからず、心が揺れる人の家を訪ねては、懸命に学会の正義を訴えぬいた。


彼には、かつて、自分が犯してしまった過ちを、絶対に、同志たちに繰り返させてはならないという、人一倍、強い思いがあったにちがいない。
                  (新・人間革命4巻P95~凱旋の章より一部抜粋)