折伏は難事中の難事
「信心しようや」
「・・・・・」
子どもの頃から可愛がってくれた優しくて大好きなおじさん。その温和で優しいおじさんが、信心の話をしたとたんに、仏頂面になり、不機嫌になる。無言になる。
もう、何十年。
毎度、同じことの繰り返しだ。
何度も、仏法対話してきた。
おじさんは、もう今世では信心しないんじゃないか。
ところが、ある日、おじさんからの突然の電話に驚いた。
「入会するのには、どうしたええんでえ?」
「は?」
「創価学会に入りたいんじゃ」
「え?」
「入会したいんじゃ」
びっくりした。あれだけ信心を嫌がっていたのに。
おじさんは、そのころ深い深い悩みをかかえていた。
数日後、おじさんは、晴れて御本尊を受けることが出来た。
下種をしておいて良かった。
何度も諦めかけたけど、仏法対話を続けてよかった。
↑は父の折伏の体験である。
折伏は難事中の難事。
相手の反応に一喜一憂せず、いつか芽が出ることを信じて対話を続けていこうと思う。
【とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし。信じる人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり】(新P697 法華初心成仏抄)
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。