極悪と戦えば極善となる

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日顕宗坊主の犯罪歴


<性犯罪を繰り返す僧侶たち>


平成10年 5月26日 大石寺住職 後藤 信和(ごとう しんわ) 女子中学生2人にわいせつ行為、女子高生に暴行容疑で逮捕
スポーツ紙では『生臭僧侶御用』とデカデカと見出しが。


平成16年 9月27日 日蓮正宗興本寺住職 武富 道心(たけとみ どうしん) 17歳の女子高生にわいせつ行為で逮捕



平成28年 8月23日 日蓮正宗開道寺住職 西村 正雅(にしむら しょうが) 
女性2人を襲いけがをさせ、強制わいせつ行為、窃盗などの容疑で逮捕


『先師の如く予が化儀も聖僧為るべし』の日興上人の遺誡からかけ離れたこのていたらく、日蓮正宗では、どう説明するのか。「僧侶も凡夫であるから」と擁護するのか。


これらの一連の事件は一般紙でもとりあげられているのに、また『創価新報のでっちあげ』「創価の陰謀」等といって逃げるのか。こんな腐りきった下劣な坊主どもを輩出しているのが現日蓮正宗の実情なのである。

"こんなに尽くしてやったのに" 反逆者の逆恨みの心理


 仏道修行は「してやって」いるのではなくて、「させていただいている」のである。
「してやっている」と思うこと自体、仏法者として謙虚な心がまったくない。
要するに「自分の一生成仏のため、人間革命のため」という原点を忘れているから、
「あの人が悪い、この人が悪い、幹部が悪い。自分はその被害者だ」と思う。これこそ、己心の外に法を求めてしまっている何よりの証拠であろう。そういうのを『外道』という。


仏道修行は『心こそ大切』なのである。
喜んでするところに功徳もある。


 創価学会は、人を信じることからはじまり、善意で成り立つ信仰の組織だ。
何も理由がないのに、役職を解任したり、除名処分などにはしないのである。



 金銭問題をおこして組織をかく乱し、同志に多大な迷惑をかけ、役職を解任された夫婦の話が『新人間革命第8巻 清流の章』に載ってある。


役職を解任された""沼山広治""は、副理事長宅に乗り込み、こう吐き捨てた。


「俺はな、これまでずいぶん学会には尽くしてきたんだ !それなのにクビにしやがって!」
「解任については、納得したことではないか・・・」
「この野郎 !」
沼山は、理事長の胸倉をつかんで、殴打した。
「こんなことをすれば、取り返しのつかないことになるぞ !」
「うるせえ !」
沼山は吐き捨てるように言い、部屋を出て行った。
副理事長はがっくりと肩を落とした。山本会長の心もわからず、反省もない、沼山という人間に対する落胆であった。沼山夫婦の処遇については、再度、審議され、学会除名に決定した。(P268)



 解任、除名にされた原因が「自分にある」と思わず、「人のせい」だと思う。
逆恨み、とはこういうことを言うのであろう。

西村事件 現在の日顕宗坊主の実態

産経ニュースより 2016・8・25


女性に抱きつく 容疑の僧侶逮捕 静岡


路上で女性に抱きつき、けがを負わせたとして、沼津署は23日、強制わいせつ致傷の疑いで北海道留萌市住之江町の僧侶、西村正雅容疑者(45)を逮捕した。西村容疑者は「いたずら目的だった」と容疑を認めている。


逮捕容疑は、23日午後7時25分ごろ、清水町の路上で同町内に住む50代の女性に後ろから抱きつき、引き倒した際にけがをさせたとされる。同署によると、西村容疑者は研修のために県内を訪れていた。


        ー自らの欲望を律することのできない弱さー


「西村事件」とは、2016年8月23日、日蓮正宗開道寺の住職だった西村正雅が全国教師講習会の前日、路上で2人の女性を襲い怪我をさせた事件。西村は今年2017年3月、懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡された。


西村は、法廷で『住職としての仕事のストレス』が原因であると発言。勾留中は反省するどころかマンガ本をよみふけっていた。"指導教師"とは名ばかりで、およそまともな僧侶とは思えない厚顔無恥ぶりをさらしている。


「勾留中、料理マンガを読んでいて料理に挑戦しようと思った」


長年、住職を務めてきたにもかかわらず、いったい何を修行してきたのだろうか。
日蓮正宗の僧侶であるのだから、今後は折伏弘教に励み、身軽法重の僧となる決意を述べるべきであろう。法のために難にあい、獄に入った創価三代の会長とは、レベルが低すぎて比較の対象にもならない。


こんな腐った坊主は日興門流を名乗る資格などない。


『飢餓からのがれるために見せかけだけの発心出家する人』p29
""食うために出家する者""、
""利欲のための出家者""を名づけて「禿人」(とくにん)というのである。