数年前の長沢氏のスキャンダル、今回の遠山氏の不祥事、前者は衆議院選挙の最中でおこり、後者は今年夏の参議院選を控えている矢先の出来事だった。 これらの議員の一連の不祥事は、魔の働きだと思っている。 議員になれば、赤い絨毯を歩き「先生、先生」と呼ばれチヤホヤされる。 勘違いがおこりやすい。 以前... 続きをみる
極悪と戦えば極善となるの人気ブログ記事
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1990年(平成2)12月末、緊急の地区部長会があると聞き、「いったい、何事か?」と、ただならぬものを感じながら、父はその会合に参加した。そこで池田先生が総講頭を罷免されたことを聞かされ、激怒して家にかえってきた。 開口一番、「もう、ワシは絶対、寺やこう、行かんで!!」とそれはもう、すごい剣幕... 続きをみる
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日顕が高橋公純の紹介で段勲や押木二郎らに会った後、平成二年十二月二十五日の午後五時過ぎ、身延山の北北西約二十三キロメートルに位置する山梨県西山温泉の「慶雲館」に、男たちが到着した。男たちとは、反創価学会ライターの内藤国夫、同じく段勲、正信会機関紙『継命』編集長・乙骨正生、そして創価学会元教学部長... 続きをみる
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「絶対、幸せになってください。 皆さんが幸せになっていくことが私の勝利なんです。 幸せにならなかったら、私の負けなんです」 ー創大生への池田先生のスピーチより 功徳を受けない信心 河合師範
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聖愚問答抄P496 「其の仏法の偉目を見ながら我もせめず国主にも訴へずは教へに背いて仏弟子にはあらずと説かれたり」 謗法の者を見ながら自分も責めず、国主にも訴えようとしない者は仏弟子にはあらずと経文には説かれている。 涅槃経に云く 「若し善比丘あつて法を壊らん者を見て置いて呵責し駆遣し拳処せずんば... 続きをみる
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三位房日行は、比叡山に留学し、秀才だったようで大聖人門下にあっては指導する立場にあり、今の学会でいえば大幹部にあたる。 日興上人の富士方面の弘教の補助にあたり、諸宗問答の主任を任されていたのだから、 師匠である大聖人からも、かなり期待されていた人物のように思う。 しかし、三位房は京の軟風におかされ... 続きをみる
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広宣流布の苦労に、無駄はない。 全部、大福徳に変わります。全部、生かされていく。 御本尊中心の活動であれば、矛盾や行き詰まりがあるわけがない。 御本尊は「事の一念三千」の御当体です。十界の衆生が、すべて妙法に照らされて、 仏の働きをするのが、御本尊中心の世界です。 私は、ある時は「地獄界の衆... 続きをみる
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経文に照らして、御書に照らして、魔も難も起こらない正法なんてありません。 難を避けるうまい方法はないかなどと考えてはだめです。覚悟を決めることですよ。 実は、魔にも難にも大きな意味があるんです。 大聖人が『魔競はずは正法と知るべからず』といわれているように、魔が競い起こるか否かによって、その教... 続きをみる
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『されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云々、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ』 御書P1220 乙御前御消息 (妙楽大師は言っている。「必ず心の強さによって神の守りも強く働くのである」と。人の信心が強... 続きをみる
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「大魔がつきたる者どもは一人をけうくんしをとしつれば・それをひつかけにして多くの人をせめをとすなり」(全・1539) (大魔がついている者たちは、一人を教訓して退転させたときは、一人をきっかけにして多くの人を攻め落とすのである) 「日蓮が弟子にせう房と申し・のと房といゐ・なごえの尼なんど申せし物ど... 続きをみる
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仏道修行は「してやって」いるのではなくて、「させていただいている」のである。 「してやっている」と思うこと自体、仏法者として謙虚な心がまったくない。 要するに「自分の一生成仏のため、人間革命のため」という原点を忘れているから、 「あの人が悪い、この人が悪い、幹部が悪い。自分はその被害者だ」と思う... 続きをみる
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人間革命12巻 「後継」の章より 一部抜粋 ある時、報告にやってきた参謀の滝本欣也が、戸田にだずねた。] 「先生が一日の落慶法要で言われましたように、御書も発刊され、大講堂も建立されたいま、学会は身延をしのぎ、もはや、敵はいなくなったと思います。これからの学会は、何を敵として進んでいけばよいのでし... 続きをみる
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グルーブ学習会において「立正安国論」を4回にわたって講義させていただいた。 題目をあげ、御書にふれていく中で、日蓮仏法の究極中の究極の修行は「謗法呵責」であることを学んだ。 私は、もともと事なかれ主義で議論をすることはあまり得意ではない。 しかし、立正安国論を学ぶうち、有名な以下の一節がずっと私の... 続きをみる
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【また大聖人は、「敵と申す者は忘れさせてねらふものなり」ー敵というのは、(その存在を)忘れさせてねらうものであるーと仰せである。‘’小事‘’をおろそかにし、危険を忘れるところに大きな落とし穴がある】 (池田先生) 先日、ものすごく怖い思いをした経験が、自分の危機管理を見直すき... 続きをみる
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BOOWY INTRODUCTION IMAGE DOWN BABY ACTION CASE OF BOØWY 独身ころ、私はピアノが少し弾けるということで、友人からバンドに誘われた。 経験もなく不安だったので、初めは断った。 しかし友人からの熱意に押されて、キーボード担当になった。 最初は緊張し... 続きをみる
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【創価ルネサンスバンガード】 「今日も元気で」 【聖教新聞を、日本中、世界中の人に読ませたい】 戸田先生 今日は聖教新聞の創刊日。 「きょうで本紙は創刊73周年、紙齢21839号を刻む。この長き歴史は聖教を支えてくださる全ての方々の尊き苦労と活躍の一日一日の積み重ねの結果でもある」 ... 続きをみる
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ブロックを後輩と一緒にまわっている時、いろいろな話をした。 『ウチのブロックは若いママさんたちが多いよね』 『そうですよね。今は育児や家事、仕事をこなすので一杯一杯な感じです』 『そうだね。女子部の時は頑張っていた子もいるので、長い目でみてあげないといけないね。私の女子部の時の後輩は、「忙しすぎて... 続きをみる
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【同じやり取りはしませんが、こちらは大聖人が悪いなんて一言も言ってません。「彼の(山田さんの)理屈で言えば、大聖人が悪いとなってしまう。だから彼の理屈はおかしい」これが私の主張です】(鯛焼き支部長さんのコメントより一部抜粋) 「ぼくは戸田城聖に折伏されたようなもんです」(山田さん) 戸田先生の時代... 続きをみる
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以下、河合教学師範の指導 日顕を呵責することについて「そんなにひどい言い方をしなくてもいいのに」とか「悪口ばかり言っているのは嫌だ」などと思う人がいたら、それは本質を見誤っています。 日蓮大聖人は、謗法を責める時には「鬼畜なんどと下しても其... 続きをみる
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再び鯛焼き支部長さんのコメントより一部抜粋 >本門戒壇の御本尊は、日禅授与の御本尊と全く字法も字配りも同じである >堀上人は、生前にそれを指摘され、「本門戒壇の御本尊は偽作されたことは間違いない」と云われた 日亨上人がウソをつくとは思えません。 ちなみに、学会の本門の本尊の定義では、別に偽作であっ... 続きをみる
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例の日顕宗信徒もそうだったが、何故アンチがわざわざ創価カテにきてブログの記事を書くんだろう。いったい、何がしたいの? その理由を考えてみた。 ・単に愚痴を吐きたいだけ ・学会を誹謗して共感者を増やしたい ・脱会させて?自分側に取り込みたい ・池田先生、創価学会誹謗記事で注目を集めたい
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【自分以上の宝はないのだ。自分を離れて幸福はない。本来、自分ほど素晴らしいものはないのである。これが仏法である。自分という最高の宝を輝かせるのだ】 (2023・6月号大百蓮華 世界を照らす太陽の仏法P14) 【大抵、人を見ると自分と比べてしまう。もちろん、人から優れた点を... 続きをみる
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挑む力が湧いてくる体験談!
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「先生亡き後はどうしたらいいのでしょうか?」 ある会員の方が池田先生がご存命の時に、このような質問したことがあるそうである。 側に居合わせた幹部の人たちは‘’失礼じゃないか‘’とばかりあわてた。 「いいんだよ」 と先生は言われ、 「大丈夫。100年、200年先まで手を打っているから大丈夫だよ」 と... 続きをみる
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「創価学会の女子部の方ですか!?」 私が女子部のころ、とても綺麗な方がいたのだが、その方がいうには、僧俗和合時代、なんとお寺で若い坊主にナンパされたらしい。異様な目つきで執拗に迫り、「しつこくて気持ち悪かった」と話していた。 いったい、寺では、どんな教育をしているのだ? 女性のナンパの仕方でも教え... 続きをみる
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「えー、次に戸田第二代会長にちょっと触れますと、この方は生命論ということを、あのー悟達ということを言っているよね、あの池田大作が。戸田さんが獄中の悟達と。獄中において牧口さんに対して、あれして、まー、入った。相前後して入った。」 「それからしばらく獄中にいたが、その間に悟達をした。それが無量義経の... 続きをみる
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戸田先生質問会・第3弾・#sokagakkai #ご指導 #joseitoda #戸田城聖 #daisakuikeda 亡くなった人に追善を続けたほうがよいか。(生まれ変わっている場合でも続けたほうがいいのか) 戸田先生の答え 「もう生まれてきているんだから、やめてもええような気がするんだが、それ... 続きをみる
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【生死をいで仏にならんとする時には、かならず影の身にそうがごとく、雨に雲があるがごとく、三障四魔申して七つの大事出現す。たといからくして六つはすぐれども、第七にやぶられぬれば、仏になることかたし】 (生死をこえ、仏になろうとするときには、必ず影が身にうように、雨に雲があるよるように、三障四魔といっ... 続きをみる
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不祥事→逆恨み→退転・反逆という図式は今も昔も変わらない。 学会で厳しく禁じられている金銭貸借。信平醇浩・信子夫妻は幹部の立場を利用して会員をだまし、金銭貸借を繰り返していた。 その実態を知った北海道最高幹部は、1992年5月、夫婦に役職の辞任を促したが、これに醇浩は逆上。「バカなことをいうな、こ... 続きをみる
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・1914年11月、57世阿部日正が身延派など日蓮宗各派との「統合帰一」に賛同の署名、その後、「統合帰一」は破綻、1922年10月、天皇から日蓮大聖人に「立正大師」の大師号が宣下された際、日正は「日蓮聖人大師号降賜請願」と題する請願書に署名、「立正大師」の号が下された日、日蓮宗身延派の管長の導師で... 続きをみる
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お話が通じないようなので、このブログへの出入りを禁止します。
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【全国どこへ行っても、支部長も、支部婦人部長も、また、地区部長も、地区担も、皆、必死です。悩みに悩んで、懸命に活動しています。それを、最高幹部でありながら、自らは何もせず、野球でも観戦するかのように、どこの支部が強いとか、弱いとか言ってるのは、低級な評論家ではないですか。自分は苦労もしないで、高み... 続きをみる
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日蓮正宗第62世鈴木日恭は法主という立場にありながら、戦時中、軍部に迎合し、神札を受ける、御書の要文を削除する、命をかけて戦っている在家の牧口戸田両先生を見捨てる、末寺に伊勢神宮への遥拝を徹底するなど、数々の謗法行為をなしてきた。 鈴木日恭は、所化の火の不始末による火災で悲惨な死を遂げる。 しかし... 続きをみる
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「広宣流布をなすなのは、学会以外にない。これに背けば五逆罪になる。学会をはなれて幸せなものはいない。功徳のあるわけがない。戸田のやつ、すこしのぼせてると言うものがいれば、言うものはいえ」(昭和29年2月27日 本部幹部会 豊島公会堂) 「和合僧を破る、心の和合を破壊し、仏の道を破壊することである。... 続きをみる
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「私と初代会長牧口先生をともに調べた特高刑事の一人が、東京の有楽町駅で電車を待っていたとき、ひょいと頭を出して電車にぶつかり、目、鼻、口から血を吐き出し、首が抜けて死にかかった。すごい頭破作七分の姿を、はっきり覚えている」 (戸田城聖全集第4巻より) この刑事は、終戦後、「私が間違っていました... 続きをみる
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1925年(大正14年)、58世・日柱が客殿で勤行を行っていた際、ピストルのような爆発音や投石により脅される事件が多発した。 同年11月20日、宗会で日柱に対して不信任決議が出され、それが可決、辞任勧告書も出され、日柱は同24日、辞任に追い込まれた。 この事件を知った大石寺の檀家総代や東京の信徒は... 続きをみる
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魔は、戦おうという人の生命力を奪い、やる気をなくさせようとする。 時には、今回のように、同志の嫉妬となって現れることもある。あるいは先輩幹部の心ない発言となって現れることもある。また、病魔となって、組織のリーダーを襲うこともある。 こちらの一念が定まらないで、逃げ腰になれば、魔はますます勢い... 続きをみる
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池田先生と世界の青年
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ーたとえ、今、君がどんなに悲しみに沈んでいようとも 僕が見つけ出して、必ず幸せにしてみせるよ 池田大作先生会長就任挨拶
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広宣流布においては、日蓮大聖人を裏切り、同志を裏切った悪人を、徹底的に追及しなければならない。日本的な「水に流す」とか「みそぎ」とかいう慣習は、一見、寛容のようであって、じつは「悪への怒りがなく、けじめがない」だけである。「もう、この辺でいいだろう」は精神の敗北である。 日蓮大聖人も、日興上人も、... 続きをみる
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追撃の手をゆるめるな昭和33年4月3日本部幹部会豊島公会堂 その言葉は、しばしば途切れたが、ただならぬ気迫にあふれていた。 「衣の権威で、学会を奴隷のように意のままに操り、支配しようとする法主も、出てくるかもしれぬ。・・・・ことに、宗門の経済的な基盤が整い、金を持つようになれば、学会を切り捨てよう... 続きをみる
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「追撃の手をゆるめるな!」 昭和33年4月3日 本幹 豊島公会堂 人間革命 12巻 寂光の章より一部抜粋 三月も末に迫った日のことであった。総本山の整理役員として登山していた青年が、早朝、六壺の前を通りかかると、一人の僧侶が、お小僧さんたちを怒鳴り散らす光景に出くわした。彼らの多くは小・中学生であ... 続きをみる
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苦水重徳(くみず しげのり)氏 (元公明党 岡山市議会議員) の証言 (山崎が司法修生時代のエピソード) 当時、苦水は男子部の中心者で、 京都から帰ったばかりという正友を印象深く記憶している。 「彼は学生部の班長として帰ってきましてね。よれよれの背広を着ていたと思います。いかにも病気あがりの顔で痩... 続きをみる